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【027 マニア】1996年2月5日

1月6日土曜日。

私は15:08新宿駅発、高尾山口行きの京王線に飛び乗った。
その電車は急行だったので、私の実家のある八王子の北野という駅にも停車する。

新宿駅で発車時間が迫っていたので、私は後方階段近くの車両に飛び込んだ。

しかし、その瞬間に私は車内に立ち込めるタクアンの臭いを嗅ぎつけた。
タクアンは好きだが、その臭いは特にこの様な暖かい密室では、殆どウ○コの香りに限りなく近付いてしまう。

私はその臭いのしない位置まで車内を後方に向かって移動した。
『そろそろイイナ』と思った所で立ち止まりバッグを網棚に上げ、中から文庫本を1冊引っぱり出した。

急いで飛び乗ったにもかかわらず、発車まで少し時間が有ったようで、電車は直ぐには発車しなかった。

立って吊革に掴まりながら私は本を読み始めたが、車内があまりに暑いのでジャンパーを脱ぎ、それを網棚の上に放り上げた。

そうしているうちに電車は走り始めた。
私の目の前には中学生か高校生らしい娘と母親の二人が並んで座っていた。

私は直ぐに、二人の様子が怪しいことに気が付いた。
娘が母親越しに隣の乗客を見ながらコソコソ話をしている。

私も、その視線の方向に目を向けた。
そこには女性が座っていた。

彼女の手にはシングルCDの様な物が握られていた。
眼鏡をずり上げ良く見てみると、あのSMAPの“しようよ”である。

元学生ミュージシャンの私達仲間内では、最近SMAPの存在が再評価されている。
正確に言うと、SMAPそのものが評価されているのではないが。

と言うのも、昨年前半?に流行った“たぶんオーライ”の曲中のドラムソロが凄いのである。
とてもアイドルグループの曲に相応しくないドラムソロなのである。

私は最初にこれを聴いた時に興奮し、恥ずかしさを省みずシングルCDを衝動買いしてしまった。
しかし、ドラマーまでは判明しなかった。

確かバンド仲間で飲んでいる時に、私がそのドラムソロの話をしたら、「あれはオマー・ハキムかもしれない。」とか、「いや、デニス・チェンバースに違いない。」など議論が白熱した。

Omar Hakim


Denis Chambers


また、あのブレッカー・ブラザースがSMAPと一緒に“笑っていいとも”に出演していたなどという話も耳にした。

Brecker Brothers


ある雑誌で見たSMAPのニュー・アルバム評では、「歌の軽さと、バックの演奏の素晴らしさは好対照。」といった皮肉たっぷりの解説があった。

そして、京王線の彼女が手にしている“しようよ”も、なかなか良い曲である。

最初は長髪に隠れていて顔が良く見えなかったが、良く見てみると40歳は越えているように見えた。
さらに、そのボサボサの長髪には白髪も混じっていた。

要するに、私の前に座っている娘は、「このオバサン、なんでSMAPのシングルCDなんか持ってるんだろう?」と、母に言っていたのである。

確かに不思議である。
31歳の私が持っているなら納得できる?が、どう見ても40過ぎのオバサンが持っているのは怪しい、と思う。

彼女のファッションもチェックしてみた。
両耳にはヘッドホンステレオのイヤホン、黒の皮ジャンの下には赤のトレーナー、ズボンは紺のコーデュロイで決めていた。

そして、バッグはタスキ掛け、足元にはデパートの紙袋二ヶという具合である。

その間、彼女はCDを透明のビニール袋から取り出し、舐め回すように見ている。
多分、『早く聴きたいのに、ワクワク。ディスクマンなら今直ぐ聴けるのに、ガッカリ』といった心境だろう。

暫く私は本に熱中してしまい、ハッと気付いて彼女を見てみると、今度はビデオを手にしていた。
ビデオの外箱には“ロック50年の集大成”と書かれていた。
再び驚きだった。

しかし、これではっきりした。
やはり彼女はかなりのマニアで、バックのミュージシャンの演奏が聴きたくて“しようよ”を購入したものと、私は勝手に判断した。

「でも、それならアルバムを買った方がいいよっ!」とは、隠れSMAPファン?の私としては言えなかった。

彼女はビデオのライナーノーツをじっくり読んでいた。
電車は明大前に到着し空席ができたが、私はその場所を離れるのが惜しく、そのまま立って観察を続けた。

もう読書など、上の空である。

明大前を出ると、彼女は紙袋から別のビデオを取り出した。
同じシリーズ物の様である。
かなりのマニアである。

きっと彼女と音楽について語ったら相当盛り上がるであろうことは、容易に想像できた。

シャイな私は、ついに声を掛ける事ができず、彼女はつつじヶ丘で下車してしまった。

彼女がほんの少し若く、ほんの少しイイ女だったら声を掛けていたかもしれない。
ホントか?


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