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【021 オヤジ 1】1995年12月14日
12月9日土曜日の午前中、私は当社H本取締役と筑波のお客様の所に行くことになっていた。
9時前から会社で待っていると、H本さんから電話が入り、今築地駅を降りてこちらに向かうとのことだった。
私はビルの下に降りて待っていた。
間もなくH本さんが現れ、二人で駐車場へと向かった。
当社が借りている駐車場は地下の機械式のものである。
どのような代物かというと、タワー式のパーキングと同じ様なゲートに車を入れると、車を乗せたプレートが地下に垂直に降りていき、地階の空いているスペースに、プレートが水平方向にスライドして入るというシステムである。
自分の住所を持って、決まった場所に格納されるわけではなく、ギッチリ詰め込んだ状態になっていると思われる。
ゆえに車を出すときは、コンピュータがパズルを解くように、車のプレートをあっちにやったり、こっちにやったりして、ようやく車が奈落の底から上がってくる。
満車に近い状態で、最悪の位置にプレートがある場合は、車を呼び出すのに10分以上要することもあるらしい。
駐車場の出入口は、一方通行の道路に面しているビルの一階にあり、ターンテーブルはその道路から少し奥まった所にある。
私達がそこへ辿り着き、道路からターンテーブルの方へ足を踏み入れると、駐車場の操作盤が開いていて、その奥の方に誰か人らしきものがいるのが見えた。
間髪を入れず、その人間はしゃべり始めた。
「いやーっ。一足遅かったね。今、俺が出してるところなんだよ。ごめんねー」と、来た。
私達は呆気に取られて、すぐに反応することができなかった。
この様な場所では、当然早い者勝ちという極めてシンプルな掟があるので、こんな形で謝られたこともなかったし、謝られるとも思っていなかった。
すかさず、気を取り直して「とんでもないです」とだけ答えた。
しかし、男はその後もしゃべり続けた。
「いやーっ。俺が悪いんだよねー。こないだ、アメリカ行って、風邪ひいて帰ってきたもんだから、みーんな風邪ひいちゃってさ。やっぱ、俺が悪いんだよねー」と、いきなり話題はアメリカである。
年の頃は60過ぎといったところか。
口にしているマスクを左手で持ち、引っ張った状態でしゃべりまくる。
瞬間、敵の攻撃が少しだけ緩んだところで、私は缶コーヒーを購入するため、道路へと出た。
私がどれにしようか迷っていると、集中砲火の中に取り残されたH本さんが、意味もなく私の方にやってきた。
どうやら耐えられずに退散してきたようだ。
コーヒーを買い求めた私は、再び操作盤の前に戻り、『あのオヤジの車が出てくるまで、あとどのくらい掛かるのか?』をなにげに確認した。
無情にも、残り時間のデジタル表示は4分強を示していた。
ホントに使えないパーキングである!
獲物を見つけたオヤジは再びしゃべり始めた。
「アメリカは暖かかったんだけどさー、向こうはこーんな(※マスクを持っていない右手を大きく振り回して)でっかいトラックをさ、Tシャツ着たこーんな(※繰り返し)でかい男が運転してるじゃない。かと思うとさ、すっげー可愛い女の子も運転してたりするんだよね。ほらほら、日本もさ最近ダンプ運転してる女の子多いじゃない……」
このオヤジはどのような思考回路をしているのだろうか。
初対面の人間にこんな事を話して何になるというのだろう。
その上、話に脈絡がない。
私は缶コーヒーを呷りながら、『オヤジの左手のグリップが緩くなって、マスクがパチンと顔に当たれば面白いのに』等と思いつつ、目線は合わせずに時々頷く程度にしていた。
H本さんときたら、もう聞いちゃいない。
それどころか、ぶつぶつ悪態をついている。
そのうちにオヤジの話は最初の話題に戻り、「聖路加(病院)行っても、休みだから他の所行かなきゃ」と、自己完結した。
私はパーキング内部が見える窓を覗き込んだ。
オヤジのものと思われる車が、丁度上がってくるところだった。
私はほっと安堵を覚え、オヤジ向かって、「来ましたよ、車」と伝えてあげた。
オヤジは残念そうにマスクを元の位置に戻した。
ゲートが開き、オヤジはパーキング内部に入っていった。
H本さんと私は顔を見合わせ、お互い首を傾げた。
オヤジの車がバックで出てきた。また車外へ出るとマスク持ち上げてしゃべり始めそうだったので、車が停止した瞬間にターンテーブルの旋回ボタンを押してあげた。
それと同時に、彼の操作盤用のキィを抜き運転席側に回って渡してさし上げた。
希に見る好青年ぶりである。
彼が走り去った後の私達二人の共通した感想は、『風邪より頭を診てもらえっ!』だった。
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